仕事とは楽しいものなのか?
これまで20年くらい働いてきたが、仕事は楽しいものなのか?と問われると、素直に楽しいとは答えられない。
思うようにいかないことや、嫌な思いをすることか多々あるし、面白いとは決して感じられないような作業もする必要がある。
「本当にやりたいと思ったことをやるべきだ」と謳われている書籍はたくさんあるが、いつか自分もそのような選択を思い切ってする日が来るのだろうか。
今、自分がやっている仕事は決してやりたいことではないのかもしれない。
ただ、最近、この「やりたいこと」についてちよっとした悟りというか、世の中はそういう仕組みで回っているのではと感じることがある。
これはまだ仮説で、自分自身それが答えだという確信はないのだけれど、感じているのは次のようなことだ。
一つ目は、自分のことだけを考えて思い描いた未来は何となくしんどいということ。
スキルアップ、快適な仕事環境、収入アップ、生活の質の向上、それらの目的を自身の幸福感の向上のために目指すと、なぜかうまくいかない。
自分にとってプラスにならないこと、面倒なこと、不要なことを回避したくなるのだけれど、仕事をしているとそういった類の用事の方が多いのだ。
逆に、お客様や部下、家族がハッピーになるように全力投球すると、色々なことが良い形で回り始め、結果として周囲からの感謝や評価がついてくる。面倒なことも、自分だけでは解決が難しいことも、不思議と何とかなり、ゴールに向かって進んでいく。
ここで重要なのは、何が相手にとってハッピーなのかを自分の頭でちゃんと考え、ある種の信念を持って動くことなのだろう。相手の顔色を伺い、喜ぶことをやる、求められたことをやるのとは違う。
そういうスタンスで仕事をしていると「自分のやりたいこと」の真の姿が見えてくるのかもしれないが、自分はまだそこには辿り着いていない。
二つ目は、いつまでも指示を受ける側でいるのは自分にとってはしんどいということ。
世代は常に移ろい変わっていく。新人研修で自分が指導した社員がいつの間にか成長しマネージャーグラスにまでなっている。一部の後輩は私を追い抜いて昇進してしまった。
組織に属するのであれば、そこには必ず階層と評価が存在する。年功序列の風土が残っている組織もまだ存在はするのだろうけれど、多くの企業においては年齢とそれに見合った経験・役割・収入が定義されており、この定義にうまくはまらない人材は組織の中では徐々に機能しなくなり、最悪リストラの対象にもなるだろう。
高い評価や高収入を望むというより、40を超えた自分が20代、30代の若手と同じことをしていることに違和感があり「若手、他の人でもできることならば、自分はそれをやるべきではなく、然るべき人に渡すべきだ」と感じるようになった。自分にとって楽しいことならばそんなことを考える必要は全くないのだろうけれど、周囲をハッピーにするということに主眼を置くならば、自分を最大限に活かせる形は何かを考え、自分にしかできない何かを見つけられるなら、それが難しいことでも向かっていくことが必要なのかもしれない。
三つ目は体調だ。
40代に入って、自身の心と体の変化を顕著に感じるようになった。一言でいうならば、色々と無理がきかなくなった。身体的には、体が少し疲れやすくなっており、集中力や記憶力が少しずう低下してきていると感じる。睡眠時間をしっかり確保しないと翌日のパフォーマンスが著しく低下する…。精神的には、自分にとって苦手なこと、嫌なことと敢えて対峙するべきではないと感じるようになってきている。周囲からどう思われているかを気にするべきではなく、自分はどう考えるのか、どうしたいのか、どうありたいのかを突き詰め、自分の信念に基づいた行動をしたいと強く感じる。
まだ答えには辿り着けていないし、ひょっとしたら永遠に辿りつけないのかもしれないけれど、そんなことを考えながら、今日も山手線で仕事に向かう。